晴耕雨読の日々

我は動かぬ石かはたまた空を貫く風となるか、時折徒然を呟く

空言のように行かないでと春へ

【 愛 】

行かないで ← BGMを聴きながら
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          水彩画は「蝦夷狐薊」

それなりに生きてきた。
「それなりに」ってどれくらいかは分からない。
分からない時は語義を調べるようとする習慣。
そこそこに。相応に。問題や不満がないわけ
ではないがある程度満足は得られていること。

うーん。なるほど。流石の語釈である。
思考は徐々に衰退を辿っていると沈黙を託つが
それは自己暗鬼にしか過ぎないのも知っている。
そんな大袈裟なものではなく必要としないものを
ただ疎んじて捨ててしまったのかもしれない。

知らずに捨てた言葉「行かないで」・・。
あんなに想っていた気持ちが見えないほど高い空
にするすると昇って消えた日。
失うことが分かっていても言葉は空に向かう。
これも空言なのか。


多くの方に訪問をしていただきとても嬉しいです。
この嬉しさがブログを続ける原動力になっています。
またのご訪問をお待ち申し上げております。


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赤き花色未だ見えず雪の果て

【 自然 】

赤い花白い花 ← クリックしてBGM
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「赤い花白い花」は持ち歌である。
演奏の幕間によく歌う。
切々と奏でる歌は雪解のあとの楽しみである。
ああそろそろ花色を愛でたいものである。
自然のカテゴリなのでタイトルもこんな句となる。

さて、来週からは句会の執筆にてんてこまい。
言葉の密林をうろうろと歩く小生はパソちゃんに
向かう日々が続くのである。
「てんてこまい」って何だろうと繙くと。
里神楽の小太鼓の音となる。

総て言の葉には語源があるのだからこれまた
言い得て妙と頷くばかり。
そんなたわいのないことを記して朝に向かう。
朝はもちろん明日である。これもまた然り。

さよならと記したばかり細雪

なんちゃっての句作ばかりを少し続ける僕ちん。


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冬の使者

【 徒然 】

月光の聖者達 ← クリックしてBGM
a (586)



冒頭の拙作は斜里の流氷群。
正月早々の地元紙を飾るニュースの見出しは。
オホーツク海に「冬の使者」流氷が到来、南下中。
・・とある。

年末の大雪といい例年にない流氷の到来の早さ。
何かしらの原因があるのだろうか。
不気味な咆哮が空や海から聴こえてくるよう。

きっと何か人と名の付く生き物が先ゆく道標を
間違えて歩き出しているのかもしれないなあ。
些少な息吹きでも良いのだから確かな正しさを
貫くものに会いたいと思う。

そんな使者を求めてばかりの徒然である。
新年の数え月は睦月。
睦まじく日々を過ごしたいとの願いを叶えるように
綺羅星の言葉の使者が手元に届きました。

小さな句座に集う仲間たちの息吹きである。
無頼の咆哮さえ優しく包み込む句作をどうぞ。


凍空に息まろくして二人連れ
寄り添ひて光る雫や実千両
哀楽を恙なくとし初便り
二つ三つ闇に輝く冬灯
あら浪や眼鋭き鶚かな
短日の箱のなかより筺をだす
二羽三羽朝日背負ひて初鴉
星満ちて夢路辿りし寒菫
来たる者蜜柑をもぎて往ねにけり
挨拶のふたことみこと冬帽子
いちじつをあたふた送る大旦
家々の屋根を照らして初日の出
冬灯やコルクの栓の壜に落ち
単身にせめて二段の鏡餅
春待ちの子に留守電のメッセージ
冬桜咲くきみと来し郷の道
雪ニ尺降り敷く窓を仰ぎけり  
山茶花の無残に散りて川の面
春永やグラス合はせし三世代
一本の藁に縋りて冬の蠅
幼子の膝に一枚板歌留多
鰊漬熟れて遠きの祖母と逢ふ
色付かぬまま暮来たる庭の内
さりげなく手渡しくれる膝毛布  
目に嬉し冬萌きたる真昼時
薄ら日にふくら雀のおしくらべ
古暦思い出せない丸印
朝の気を空に放せししばれかな
耳澄まし鼓動確かむ冬木立
冬庭に鋏の音や翁の背
本然のしみじみゆきぬ去年今年
若水に託す思ひやいよ深し
一身に日差し集ひて冬苺
木枯らしや口尖らしてコップ酒
宴さなか膝の崩れて新年会


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幸せのランプを点けて冬日かな

【 音楽・スポーツ 】

しあわせのランプ → BGM
DSCN1610 (300x225)



冒頭の写真は今朝の9時に撮った写真。
今冬一番の冷える朝に冬日を被写体とする。
カテゴリは音楽・スポーツ。
添えた曲は「しあわせのランプ」としてみる。

♪幸せになるために生まれてきたんだから
  好きな人と一緒にいなさい
  大切なことなんか分かってくるんだから
  好きなことをやっていきなさい

たった今は句会の講評書きに時間を費やす。
珠玉の言葉を見つけ出す時間は宇宙に落ちた
針を拾うに等しい。

見えない仲間の喜ぶ顔を考えながらキーを叩く。
このキータッチが唯一繋がる手立てだから。
思考は爛れるばかりなので耳にBGMとなる。

ああ良いなあ。
好きな人とずっと一緒に居たかった。
好きなことをやって居たかった。
さらりと真実を歌う。

手放してしまった剣道の子どもたち。
寂しいけれど仕方が無い。
わたし自身を歌う音楽がまだ心にある。


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まだ来んと我を促す冬の山

【 写真・水彩画 】

ピアノ協奏曲 第2番 第1楽章 ← クリックしてBGM/ 
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新しき朝である。
朝と書いて「あした」とも読むのは俳人ならではのもの。
確かに夜が明ければ翌日となるのだから言い得て妙。

身畔の人が少しずつ欠けていく。
今年の賀状は欠礼とさせていただいた。
この筆記も新年のご挨拶は控えさせていただきます。

とはいえ昨年来は拙いブログに足跡を残していただいた
方々には厚くお礼を申し上げます。
新しい年ですので今年もまたお付き合いをさせてください。
とのご挨拶はさせていただきました。

掲出の水彩画は「冬の羅臼岳」とタイトルを付けている。
かねがね何も不足がなく齢にチャレンジを続けているが
アウトドアだけはとんとご無沙汰になってしまった。

羅臼の極楽平を青息吐息で登った健脚は見る影もない。
心意気だけはと抵抗したあの貫くような勢いも沈下となる。
それで良いのかと。言うまでもなく足が向かない。
どこかに向き始めた歩行を少し軌道修正と思う朝となる。

こうして確認させしておけばいつか願いが叶うだろう。
そうしてずっと写真も撮り水彩も描いてきたのだから。
つまらん男にならないように自分でも気をつけるつもりだが
偶に声をかけてくださればまだまだ羅臼に登れるよ。
皆さまどうぞ佳き年でありますよう。


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プロフィール

◎ 今人- imajin

Author:◎ 今人- imajin
湿ったアスファルトには
春風が消え夏の息吹が漂う
あの青々とした山間に棲む
コロポックルの戯れ
邪気のないことに憧れて
恋焦がれる思いを託すのさ
鈍色の空を只管仰ぎながら
何度薄暮の時間を迎えたか
長い長い冬の時間に萎れて
灯りを見出せないままの辛さ
無為の日々を過ごすことは
とてつもなく悲しい
影のように重なる自分が居て
ただその場に蹲っていた
閃光のような光が与えられて
照らし出されたわけでもなく
今を生きていることに気づく
そうさ多くは望まなくとも
森羅万象に眠る慈愛を
つまびらかに明かすが良い
葉漏れ陽に包まれて
僕は此処に居る

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

冒頭の詩は、今を生きる人
をタイトルにしています。
あまり、肩肘を張らない
タイプの人間ではあります
が、少し勢いを付けたいと
思う今日この頃。

詩のタイトルに倣って、
筆者名は【今人-imajin】
となりました。お気づきの
ように、ジョンレノンの
イマジンも模倣した訳です。

どちらかと言うと、
アスファルト・ジャングル
よりも山川に出没するのが
多いのですが、テリトリー
ではないので、吠えません。
万物万象には、畏敬の念を
忘れないようしています。

ただ自然の中にあるエナジー
は、日々の暮らしの糧になり
ますので、ちょいと拝借を
しています。
その場で文筆や写真・水彩の
記録をさせてもらってます。

その時折の呟きやら写真・
水彩画などを掲載するつもり
でいます。お訪ねのあった
機会には、拙い散文の背景や
行間を探ってみてください。

筆者として望外の喜びです。
よろしくお願いします。

連絡先はこちらに
banshow114☆yahoo.co.jp
☆を@に変えてください

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