晴耕雨読の日々

我は動かぬ石かはたまた空を貫く風となるか、時折徒然を呟く

本を読む

昨日、ある出来事が起きて、心持ちをいったんリセットしたい
と考えブログを書き始めたことを公開した。
基本的に自分の為せること、為すべきことを声高に知らしめる
のは好む行為ではないのだが・・やはり、萎れた気持ちを立て
直すには囲い込んできた精神を広く開放したいと思ったので、
後悔はしていない。

そもそも、自分はネガティブ思考の人間ではなく、限りなく
積極的に人生を詳らかに送りたいと考えているが、これは簡単
にはっきりした境界線を引けるものではない。

ポジティブに生きようと決めた時期があって、それはかなり昔
のことであるが、例えば子供の頃、駅のプラットホームから
発車する電車の終着駅はどんな街なのだろうとか、自宅前の
道路工事を一日中眺め、流れるような作業手順の素晴らしさに
うっとりしていたことがある。

子供ながらに知ったことは、未知の土地を知るためには終着駅
がなんという駅名なのか。はたまた、工事の作業手順を覚える
にはその技術を知識として学ばなければと、ずっと考えていた。

中学生になった頃から、貪るように地図帳を開き、あらゆる
本を読むのが知識を潤沢にする道筋であることが分かり始め、
それからというものは、本はわたしの知識の源泉である。
今でも布団に入って毎夜本を読むのは遠い霞の時間から続けて
いる。

と書くと、仕事柄の小難しい専門誌を連想するやに思うが、
いえいえ滅相も無く、昨夜から読み始めたのは立花隆の
「ぼくはこんな本を読んできた」であるし、その前は北海道
の釣り場案内、そのその前は、寺山修二の俳句全集、いわさき
ちひろ図録etc、しっちゃかめっちゃかのアラカルト読破で
ある。

そろそろ結文にしなければならないが、わたしが子供の頃に
思い描いた「本は知識の玉手箱」は、この齢になって果たして
符合していたのかをつらつら考えるのだが、黎明期には確かに
そうであって、わたし自身の財産にはなっているが、今は少し
違っている気がする。

わたしの諸事に纏わることを確認したいため、本をのんびり
開いているのではないかと。すなわち、晴耕雨読とタイトルを
付けた所以がここにあり、晴耕雨読とは晴れ雨の相反だけでは
なく、生きている実感を全て網羅できる生活スタイルを問うて
いるような気がする。
読者の方たちも心当たりはありませんか?


愛だなんて

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プロフィール

◎ 今人- imajin

Author:◎ 今人- imajin
湿ったアスファルトには
春風が消え夏の息吹が漂う
あの青々とした山間に棲む
コロポックルの戯れ
邪気のないことに憧れて
恋焦がれる思いを託すのさ
鈍色の空を只管仰ぎながら
何度薄暮の時間を迎えたか
長い長い冬の時間に萎れて
灯りを見出せないままの辛さ
無為の日々を過ごすことは
とてつもなく悲しい
影のように重なる自分が居て
ただその場に蹲っていた
閃光のような光が与えられて
照らし出されたわけでもなく
今を生きていることに気づく
そうさ多くは望まなくとも
森羅万象に眠る慈愛を
つまびらかに明かすが良い
葉漏れ陽に包まれて
僕は此処に居る

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

冒頭の詩は、今を生きる人
をタイトルにしています。
あまり、肩肘を張らない
タイプの人間ではあります
が、少し勢いを付けたいと
思う今日この頃。

詩のタイトルに倣って、
筆者名は【今人-imajin】
となりました。お気づきの
ように、ジョンレノンの
イマジンも模倣した訳です。

どちらかと言うと、
アスファルト・ジャングル
よりも山川に出没するのが
多いのですが、テリトリー
ではないので、吠えません。
万物万象には、畏敬の念を
忘れないようしています。

ただ自然の中にあるエナジー
は、日々の暮らしの糧になり
ますので、ちょいと拝借を
しています。
その場で文筆や写真・水彩の
記録をさせてもらってます。

その時折の呟きやら写真・
水彩画などを掲載するつもり
でいます。お訪ねのあった
機会には、拙い散文の背景や
行間を探ってみてください。

筆者として望外の喜びです。
よろしくお願いします。

連絡先はこちらに
banshow114☆yahoo.co.jp
☆を@に変えてください

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