晴耕雨読の日々

我は動かぬ石かはたまた空を貫く風となるか、時折徒然を呟く

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文月の行動



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  やさしさとして想い出として .
 
拙作のブログを書き始めたのは水無月の暦であったはず。
その時にも新暦6月の由来を書いたと思うが、暦は捲られて
既に文月となっている。光陰矢の如しとはこのことである。

そう言えば、亡くなった母は達筆の人であったが、幼少の頃
手習いで書道(習字)を教えてくれていた思い出がある。
小学校高学年の頃、まだ習っていない漢字ばかりが縦並ぶ、
この字数「光陰矢の如し」を書かされた記憶がある。

親となって、書道を教える子どもたちも三々五々、親の手から
離れてしまった現在、この齢になって母が伝えたことを知る。
「光」の文字が筆法を全て網羅していること、光放つものを常に
感受して欲しい。生きることの時間経過を意識すること。
今になって、親の教えに気づくこと、世代交代の間に居る。

水に流される笹舟のように、わたしの愚鈍な筆は流れに乗る。
さて、文月を書くことしよう。文月はこれまた素敵である。
所以は、もちろん七夕に詩歌を吟じ、書物を虫干しする風習
から派生している説が有効となっている。

これだけでは、ありきたり。自然描写が無いと風情を損ねる。
七月になると、手塩にかけてきた稲穂が膨らむ時期である。
すなわち「穂含み月」→「含み月」」→「ふみ月」へと転変する。
言いえて妙。これで納得である。

ちなみに、JULY はユリウス暦を創ったローマ帝国の政治家
ユリウス・カエサル(Julius Caesar)に因んでいるとのこと。

笹舟はまだまだ急峻な流れに寄ったり、深い淀みに停止する。
まあ、流離い人のわたしの生き方そのままである。
タイトルは、文月に続けて行動としていたことに、ここで気づく。

文月では単一語なので、ちょっと寂しいとして何か続けようと
考えたら、キータッチは「行動」といつのまにか動いてしまう。
行動学は、まんざら知識が無いわけではなく、かつての学問と
して古ぼけた思考に残っていたかもしれないが。

少し書いてみましょうか。
行動 : behavior とは、動物(もちろん人間を含む)の活動や
行いを指し示す言葉となる。ここでの注意は「行い」とは何か
である。活動と行いを分離しているのは、至極当然なことで
「行い」は、やっぱり仏教語が生きている訳である。

気がつくと思うが、日本語の「行動」は生物(動物)に対して
当てはまるのに、英語の「behavior」は機械などの無生物の
挙動や振舞いの意味として用いられているのである。

人間だけに当てはめる類語もあって、行為 act となり、人間
が有する意図や目的を兼ね備えた活動を指すのである。
人間と限定したが、これは傲慢で、ほかの生物もアクション
活動をとっているかは、実は人間には未知のことである。

行為と区別する行動の根本は、無意識の活動も含めるので、
行為を包含する概念となる訳である。
したがって、生物学が「行動」を総称するのに対して、社会学
では「行動」と「行為」を区分して用いることが多いのである。

そろそろ何処かの川岸に身を寄せなければ、流浪の旅は終着
とならない。文月のわたしの行動であった。
もちろん、行為を包含しての行動であることは言うまでも無い。

パソコンの左壁に掲げたカレンダーを見ると、色とりどりの○が
暦を飾っている。よくぞまあ、動けたものである。まだ元気だ。
ギター演奏は7回、俳句の編集は4回、剣道指導2回、山川遊び
(海も行っちゃった)5回、水彩スケッチ2回、目白押しである。

タイトルを行為ではなく、行動としたのには意味があります。
人、いわんや生きている者は、意識・無意識に関わらず、生を
ひたむきに全うすることが生きていることの証しでもあります。
どんなに萎れても、歓喜の嵐に高まっていても、為すべきことは
ひとつだと、わたしは考えています。

所属の句座の主宰が昨年天に召されました。享年96才です。
若くして亡くなられた奥様を偲んで、この句を詠んでいます。
微弱な精神しか持ち合わせていないわたしは、近づけないけれど
生きている限りは、ひたむきに生を全うする。

失ひしもの大きかり冬の虹

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プロフィール

◎ 今人- imajin

Author:◎ 今人- imajin
湿ったアスファルトには
春風が消え夏の息吹が漂う
あの青々とした山間に棲む
コロポックルの戯れ
邪気のないことに憧れて
恋焦がれる思いを託すのさ
鈍色の空を只管仰ぎながら
何度薄暮の時間を迎えたか
長い長い冬の時間に萎れて
灯りを見出せないままの辛さ
無為の日々を過ごすことは
とてつもなく悲しい
影のように重なる自分が居て
ただその場に蹲っていた
閃光のような光が与えられて
照らし出されたわけでもなく
今を生きていることに気づく
そうさ多くは望まなくとも
森羅万象に眠る慈愛を
つまびらかに明かすが良い
葉漏れ陽に包まれて
僕は此処に居る

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

冒頭の詩は、今を生きる人
をタイトルにしています。
あまり、肩肘を張らない
タイプの人間ではあります
が、少し勢いを付けたいと
思う今日この頃。

詩のタイトルに倣って、
筆者名は【今人-imajin】
となりました。お気づきの
ように、ジョンレノンの
イマジンも模倣した訳です。

どちらかと言うと、
アスファルト・ジャングル
よりも山川に出没するのが
多いのですが、テリトリー
ではないので、吠えません。
万物万象には、畏敬の念を
忘れないようしています。

ただ自然の中にあるエナジー
は、日々の暮らしの糧になり
ますので、ちょいと拝借を
しています。
その場で文筆や写真・水彩の
記録をさせてもらってます。

その時折の呟きやら写真・
水彩画などを掲載するつもり
でいます。お訪ねのあった
機会には、拙い散文の背景や
行間を探ってみてください。

筆者として望外の喜びです。
よろしくお願いします。

連絡先はこちらに
banshow114☆yahoo.co.jp
☆を@に変えてください

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